片付けるものを整理して見た

 約1年前(2023年)になるが、その年に後期高齢者になることだし、妻のためにも本格的に自分の所有物を整理しなければならないと思って、片付け物に何があるか一覧を作ってみた。
 それまでもだいぶ整理はしていたのだが、気ままにしていた。だけどちょっとではあるが先々が見えそうになってきたので、計画的にしようと思ったからだ。
 整理するものとしては、以下の物があった。
・本、映画カタログ、各種パンフレット ・名刺 ・絵はがき
・カセットテープ、ビデオテープ ・レコード、音楽CD 
・市販映像DVD、録画DVD
・プリケーションCD/DVD、CD/DVD-ROM、雑誌付録CD/DVD
・デジタルデータ(フロッピーディスク、ハードディスク、パソコン内)
・篆刻
・衣類

 これまでにフロッピーディスクはほとんど処分した。音楽CDはだいぶ処分できている。ビデオテープはほとんど処分したと思ったが、机の下から10本以上出てきた。古いハードディスクもいくつか残っている。それ以外は、まだまだである。
 どうせ最後は妻や子供に処分されるのだから、自分がこの世に存在していた事を証明できるものだけを残して、後は中身を見ずに処分するという事は自分の性分としてできない。一つ一つ見て、必要とする部分を分けて何らかの手段で残す。だから時間が掛かる。
 価値のある物はできる限り、捨てずにネットオークションやネットフリーマーケットで売りたい。お金よりも、価値を引き継いで欲しいと思うからだ。
 そうやると、どんどん時間が過ぎていく。でもそうやるしかない。今はそうやっている。
 次回からは、上に掲げた物ごとに私のやり方を少し詳しく書いて見たい。

(2024年4月6日 記)

その日にやれることは必ずその日に終える

 終活だけのこととは限らないが、以下のようなコメントを朝日新聞で見た。一昨日(2024年3月21日)の朝刊「ひと」欄でのことだ。
 南カリフォルニア日米協会で日本人初の会長を務めた三好麻里さんのコメントだ。
 住友不動産に勤めていてニューヨーク駐在だった時、世界貿易センタービルに航空機が突っ込むテロ攻撃に遭遇した。彼女はテナント獲得の営業で同ビルに向かっていた。あと30分早く着いていたら、彼女の命はなく、人生観が変わった瞬間だった、と言う。
 それから、その日にやれることは必ずその日に終える。謝罪とお礼は当日中に。できることは明日に回さないー。今も心に刻み、実践している、と言う。
 終活とは直接関係ない話ではあるが、昨年の誕生日に後期高齢者となった身にとっては、貴重な言葉である。もはや自分はいつ亡くなってもおかしくないような気がする。最近は、左腰が痛い。かがむと痛いので内臓の影響ではないと思うが、もし仮に膵臓癌であったら、多くの事をやり残したまま、また多くの物を残したまま亡くなる事になる。
 そうならないように、片付けを急ごうと思う 

諦めることが肝心、を改めて認識

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などの影響もあるらしいのだが、日本人の寿命が少しずつではあるが縮まっているらしい。
男の平均寿命(0歳の平均余命のこと。以下同じ)は 81.05 年、女の平均寿命は 87.09 年となり前年と比較して男は 0.42 年、女は 0.49 年下回っている。平均寿命の男女差は、6.03 年で前年より 0.07 年縮小している。また、主な年齢の平均余命をみると、男女とも全年齢で前年を下回っていると厚生労働省の報告では述べている。
それはともかく、私は、2024年の3月現在75歳。平均余命は12.04歳(つまり、寿命は87.04歳ということになる)。あと12年も生きられるのかと思うと、時間が随分あるような気もするし、想像がつかないので無限にあるようにも感じられる。しかし、何が起こるか分からない。突然に不治の病になるかもしれないし、災害や事故に遭遇するかもしれない。万一、妻が病気になれば使える時間が制限されてしまう。そんなことを考えると、悠然と事を進めることはできない。できるだけ早く、片付けをしなければ、と思う。


 話しは変わるが、食事をする時に好きな物から食べる人、最後に好きな物を食べる人、どちらでもない人、の三つに分けられるだろう。私は最後のどちらでもない方である。
 そのイメージで言うと、私は仕事をする時、最初に時間の掛かる事からするでもなく、すぐにできる事からするでもない。ウオーミングアップのつもりで適当に時間の掛かる事から始める。そしてその後も適当にやる。時間が押し迫れば、時間が掛かる事か、あるいは急ぎの事、重要な事に取り掛かる。これは、人一倍体力があるわけでもなく、また人一倍弱いわけでもないないことから来ることではないか、と自分で勝手に思い込んでいる。
(私が特別な人ではなく、多くの人はこのタイプだろうが)片付けもこの調子である。


 今は書籍やレコード(LP)を主にヤフオク!に出品している。片付けの一つの考えとして、まず大きく、残す物と残さない物を分けるという考えがある、とどこかで読んだ気がする。このように分けておけば、いざという時に直ぐに残さないと決めていた物を捨てれば良いと言うのである。至極もっともな考えである。
 では、全く読んでない本、あるいは適当にしか読んでいない本はどちらに分類されるのか。後で読もうと思う本、あるいはきちんと再読したいと思う本は残す本だろうか、それとも今まで読んでいなかったのだから、あるいは適当に読んでいるのだから、今後も読まないと考えるのか、こんな考えで処分を決めて良いのだろうか?つまらない事で悩んでいる。
 そして、今、レコード・コレクターズという雑誌のはっぴいえんど特集号の処分の仕方で悩んでいる。内容はもう一度読みたいのだが、時間がもったいない。さりとて、スキャニングするにはページ数が多い。さてさて、どうしようか?こんなつまらない事で毎日のように悩んでいる。諦めることが肝心なのだが、なかなかそうも割り切れない。

再び終活について

 写真家・操上和美の「終活なんてしません。」という話に触発されて久しぶりに投稿する気になった。

 今更ながらある時思った、そも終活の”終”は、何の略だったっけ。ネットで調べてみたら(笑)、適当な熟語は出てこない。多くは、『「終活」とは、「人生の終わりのための活動」の略』のような表現で規定している。
 ”人生の終わり”、確かにそんな事を考えていたら元気は出てこない。でも、ここ数年、私は”終活”と心で呟いて、妻に迷惑を掛けないという事を主眼に色々な片付けをしている。義務的である。元気が出るわけがない。
 最近、スポーツジムに行ってアブベンチで腹筋運動をしているせいか、少し腰が痛い。それなのに、処分するために、昨日(2024年3月10日)、昔使っていたAppleの12インチRGBモニターを梱包しようとして少しだけ待ち上げたりした。重さは10キロ強なので腰は痛くはならなかったが、終わって屈んでいた腰を上げようとしたら、痛くてしょうがない。これを2、3回やった。そして、本当の腰痛になってしまって起き上がれなくなるんではないかという、畏れを感じた。
 話しは変わるが昨年の12月中旬に久しぶりに風邪を引いた。その時に思った。後期高齢者なのだから、いつ何時重い病気になって死ぬかも分からない。早く片付けを終わらさせなければ、と。他の事はやってもやらなくても良いのだから、片付けを優先させようと心で思った(その時はそう思っていたのだが、段々元に戻って色々な事をしているのが現在である)。

デジタル書類の整理(2)メール(Outlook書類):.msgファイルが開けない

 別のウェブサイトに書いたのだが、終活の一環として(自分史作成のために)仕事関係の書類を整理している。紙の書類の整理が終わり、デジタル書類の整理を始めたのだが、意外と手間取っている。

 一々開かないと内容が確認できないこともあるのだが、古い書類だと保存形式(ファイルフォーマット)が現在のPC(私の場合にはMac)で認識できない可能性があるのだ。

 Macの書類に関しては、別のサイト(デジタル書類の整理(1))に書いたが、Windowsの書類でも問題があるということが分かった。私は、最後に勤めた会社ではWindows(のアプリケーション)を使っていたのだが、会社を辞める時に、取引先や同僚からの挨拶メール(Outlookでの受信メール)をデスクトップに落とし、.msgファイルとして家に持ち帰った。今般、そのファイルを整理するために開こうとしたら開けなかった。Macのメーラーである「メール」だからなのかと思い、Mac用 2020 MS Outlook(Ver.16.40)で開こうとしても開けなかった。これもMac用のせいなので直接は無理か、と思い、添付ファイルとしてから開こうとしたが、開けなかった。

 ネットのどこかにoutlook.com(outlook.live.com/mail)の無料メーラー(Outlook)に添付し、その添付ファイルをクリックすれば内容が確認できると書いてあったので実行してみた。理由は分からないが、内容は確認できた。

 ネットで確認してみると、.msgという同じ拡張子でも、Outlookのバージョンに依って、保存形式が違っているらしい、ということが分かった。今回のやり方が最適な解なのだと思う。

終活をしていますか?

 今朝の朝日新聞 be10面の “between 読者とつくる” は、「終活をしていますか?」であった。アンケートで、「はい」と答えた人は35%、「いいえ」と答えた人は65%であった。

 「はい」と答えた理由のトップ3は、「残される人が困らないように」、「病気やけがに見舞われた時のために」、「自分の最期を自分で決めたい」、「いいえ」と答えた理由のトップ3は、「まだ元気なので考えられない」、「何からやればいいか分からない」、「面倒」であった。

  「はい」の人がしている終活のトップは、「増えすぎたものを整理」であった。

 ”生前に処分しておきたいものはある?”に対して、「はい」と答えた人の処分したいものは、多い順に、手紙、服、パソコン内のデータ、写真、本、日記、メールの記録、下着、USBメモリーなどのデータ、靴・帽子(以上10位まで)であった。

 上記の処分したいものの順は、ちょっとごちゃごちゃしているように思える。ごちゃごちゃしている、というのは服や下着、靴・帽子は女性が多いだろう。男で下着というの考えにくい。データや本は主に男性だろう。
 しかし、1位が手紙、4位が写真なのか。処分しておきたい手紙や写真というのは、私の頭にはない。そんな見られて恥ずかしいものは持っていないからだ。パソコン内やUSBメモリーなどのデータ、メールの記録は処分する必要があるのか?私も重要なものだけにしたいので、減らしたいとは思うが。

 しかし、何で本が5位なんだ。私の場合は、妻から一番に言われている。知り合いの人もそうらしい。なんせ多い場合は、片付けるのが大変だから。
 個人的にはパソコン関連の本、雑誌の切り抜き、アプリケーション関連のユーザーマニュアル・CD-ROM、DVD、そしてハードディスクなどの周辺機器類だ。
 
意外と人によって違いがあることが分かった。

諦めが肝心!

 昔々の話で恐縮だが、「諦めが肝心」、と母が時折言っていたような記憶がある。数日前の朝日新聞朝刊に、下のような投書が載っていた。 私と同じように、妻から、亡くなる前に本を始末するように責められているらしい。とりあえずではあるだろうが、プルーストの「失われた時を求めて」を読み切ろうとしている。彼も何かを諦めたのだ。
 最近、私は「何もかもやり切るのではなく、多くを諦めなければいけない」と思うようになった。もちろん、すべてに執着をなくし、さっぱり諦めるのは75歳を過ぎてからと思ってはいるが。このように思い始めてからは、片付けが少し楽にできるようになった気がする。なぜなら、「オークションに出して、落札されなければ捨てる」、「スキャニングしたり、ブログ・ウェブサイトなどに記録してから捨てる」、という手順を省略できるようになったからである。もちろん、必要なものは、今まで通りの手順を済ませてから、捨てているが。

「健康」な内に、ゆるりと断捨離!?

 表題として、「「健康」な内に、ゆるりと断捨離!?」とした。しかし、そも「健康」とは、何か?、という事であるが、その前に平均寿命、余命について考えてみたい。

 厚生労働省が発表した、”2016年の日本人の平均寿命は、男性80.98 歳、女性87.14歳である。もし、平均寿命を基準に考えると、これから約10年間で自分の持ち物を整理すれば良い、という事になるのだが、この数字は、「2016年に生まれた0歳児が、あと何年生きられるか」、を表している。だから、むしろ我々があと何年生きられるかという、平均余命を基準にした方が良いと思われる。2016年に65歳の男性は19.55年、70歳の男性は12.14年である。この年、私は68歳なので、約15年の猶予があるという事になるのだが、しかし、しかしだ!それまで、「健康」で自由に動けることが前提である。ならば、「健康寿命」というものがあるではないか!


でも、ここでいう「健康」って何だ!?定義がとても怪しい。「日常生活に制限のない期間」、というのだが、その定義は何で、誰が判断したのか、という事である。一番目の定義は、上記の文字通りである。二番目の定義は、”自分が健康であると自覚している”である。つまり、自分が判断しているのである。これは、信用できるのか、大変疑問である。三番目の定義は、”介護認定”を受けていない、という事である。これは、ある程度、第三者が推し量れる。では、厚労省が発表した、2017年の健康寿命がいくつなのか、というと、男性72歳、女性76歳である。えー、という感じである。こんな数字を基準にしたら、もうこんなブログを書いていてはいけない(笑)、という事になる。結局、あと5年くらいかけて、ゆるりと片付ける、という事にした。それ以降は、ブログを投稿している暇はなくなるだろう???

想い出はいらない!

 これも昨年の事で恐縮だが、実は兄が7月に熱中症で倒れた。どうやら、エアコンもない家の中の居て、熱気にやられ、外に出たはいいが、道端で倒れたらしい。倒れてすぐに、通りがかった看護師をしている女性が救急車を呼んでくれたので一命は取り留めた。兄がポケットに入れていた財布の中に、私の家の電話番号が書かれていて、それを見て、数時間後に病院から電話が掛かって来た。兄は独身である。私が、翌日病院に行った時には、朦朧としていて、せん妄も出ていた。
 まあ、その話はともかくとして、兄は母が死んでから30年近く独りで暮らしていたため、テレビに出てくるゴミ屋敷ほどではないが、物を整理せずに畳の上に積み置きしていた。ゴミではないのだが、埃だらけで、よくこんな所で暮らせるなと私は思ったものである。もちろん、ゴミ屋敷ではないので、脚の踏み場がない、というほどではないにしても、長く部屋に止まるのも憚れる程であった。エアコンもないし、まだ暑いので、しかも認知症ぎみであるので、家には帰さず、介護付きの老人ホームに入れてしまった。いずれ戻ってもらうつもりなのだが、埃だらけではエアコンも取り付ける気にならず、先ずは、床置きの物だけではなく、タンスや押入れに入っている物、すべての片付けをシルバー人材の方達にお願いした

 ここからが本題である。兄に片付けてもらう物と残す物を選別してもらったのだが、ほとんど、「いらない」の言葉ばかり吐き、結局、残した物は僅かになってしまった。それも、私が選別した兄の写真アルバム、CD、DVDのごく一部。母が残していった着物や普段着はもちろん、兄の衣服もほとんど捨て、ばらばらになって出てくる写真まで捨ててしまった。仕事のために買った本や趣味の本も捨ててしまった。兄が言った一言が今でも耳に残っている。「想い出はいらない!」

断捨離、やり過ぎ??

 だいぶ前(昨年の11月)になるが、示唆的な投書が朝日新聞に掲載された。
夫に死なれ、断捨離を始めたが、物が捨てられない姉と、家の建て替えの時に、ほとんどの家具や衣服、書籍などを処分してしまい、娘から「まるで他人の家だ」と、ぼやかれている妹の話。
やり過ぎたことを反省、自戒し、「子供たちに片付けてもらえばいいよ。・・・友達と遊んだ方がずーっと心の平安には大切だよ」、と姉に言い残した、という妹(投書者)。
確かに、私もそう思うが、残されて片付ける身も大変である。適当に片付けて置くというのが、今の私の結論である。
妻には、あなたの持ち物は死ぬ前に皆んな捨ててしまって下さい捨てるのも大変な上に、片付けるにはお金が物凄く掛かるのよ!」、と言われている私は、その言に納得しているのだが、いつ死ぬかもわからないし、片付け以外にやることが未だ未だある。今は、ぼちぼちやっている